2013年06月09日

「ほどほどに生きる」



「禅 心の大そうじ / 枡野俊明」



「喫茶去(きっさこ)」

 という話がある。


 何を言っても、

「まあ、お茶でも」

 という禅の坊さんの話だ。



「悟りを開くにはどうしたらいいのか?」

 という質問にも、

「まあ、お茶でも」

「どうして『まあ、お茶でも』としか言わないのか?」

 という問いにも、

「まあ、お茶でも」



 禅の話には、トンチ的なものが多い。


「両手を合わせて叩くと音がする。では片手の音は?」

 なんていう「隻手(せきしゅ)の声」という話もそうだ。


「禅の公案」とも言われるもので、

 理性を越えた問いに答えを求めることによって、
 自分の心の中の現実というものを再構成するメソッド、


 とでも、言ったらいいだろうか。



 そういう禅の言葉を現代の生活にいかそうというのが、これ、

「禅 心のそうじ」

 著者の升野俊明(ますのしゅんみょう)さんは、
 曹洞宗の住職で、庭園デザイナーでもあるのが面白い。

 そのせいか、この本も、宗教的というより、
 自己啓発的な色合いも感じる。



「ほどほどに生きる」

「他人と違うことを恐れない」

「正解がひとつとは限らない」

「運命にまかせきる」


 いい言葉が並んでいる。
 ふと開いたページを見るのもいい。



 日々忘れがちなのが、心の「余裕」だ。

 お金持ちになること、成功すること、
 そういう欲も生きる上には大事なこと。

 けれど、今、この瞬間をじっくり味わえないのはさみしい。


 過去への執着や未来の不安などのために、
 今、この瞬間を費やしていないだろうか?



「嫌なこともうれしいことも一度忘れる」


 すべて、心の中から一度、捨ててみる。


 とりあえず、立ち止まって、お茶を一杯飲んでみる。

 もちろん、珈琲でも紅茶でもいい。

 ただ、インスタントとかではなく、
 自分が本当に「美味しい」と思うものを・・

 何かのついでとかではなく、
 ただ、その瞬間を感じる。




「まあ、お茶でも」

 という言葉に、昔よりも、ずっと深い意味を感じる。


 すべての問いに対する答えは、自分の心の中にある、
 だから、「まあ、お茶でも」なのだ。



「そんなお茶なんてのんびり飲んでいる時間はない」

 と、あなたが言うなら、こう返すだろう。


「まあ、お茶でも」











↓ランキングです。クリックをしていただけるとうれしく思います。
にほんブログ村 本ブログ 一般書・実用書へ
にほんブログ村

blogram投票ボタン
posted by さきあきら at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸福になるための本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。