2010年03月31日

「わたしたちは何でも分け隔てをして考えようとしてしまう」



「一休さんの般若心経」西村恵信 監修


 仏教とか、宗教って、
 ついつい敬遠しがちになるもんですが、
 この「般若心経」などの意味をよく読むと、
 今までとりあげてきた成功哲学などの
 エッセンスが含まれているような気がします。

 思い切って言えば、「般若心経」は、
 元祖「成功本」「幸福本」ではないかと思うのです。


 例えば、前回紹介したウォレス・ワトルズ著の
 「確実に金持ちになる『引き寄せの法則』」には、


「人は、思考を『形のない物質』に投影することで、
 造りたいと思っているものを現実に出現させられる」



 という一節があります。


 万物は、思考するただひとつの形のない物質からできていて、
 その物質は宇宙空間の隅々に満ちている、



 ということなのですが、これは、般若心経の

「色即是空」

 色(物質)は空(形のないもの)である、

 ということに一致します。

 さらに、「不垢不浄」という一節は、
「きれいなものも、きたないものもない」
 つまり、ただひとつのモノからできている、
 というのは、曲解しすぎでしょうか?


 その他、「般若心経」を読んでいくと、
 現代の物理法則を知っているのではないか?
 と思われるような部分もあります。


 こうしてみると、「般若心経」というのは、
「ありがたいお経」という面だけでなく、
 実用性のある知恵を教えてくれる、
「成功本」「自己啓発本」「幸福本」「勉強本」などの
 面も持っているように思えてきます。


 そして、その「般若心経」を
 あの一休さんが解説している書があったんですね。

 この本は、その「般若心経提唱 一球宗純著」
 現代語に訳し、解説を加えた本です。

 この本に興味深いエピソードがあって、
 それは、一休さんは、若い頃、
 自殺をしようとしたことがあるそうです。
 けれど、それは「世をはかなんで」ということではなく、
 自分の運命を試すために、
 つまり自分は「僧侶として生きる価値があるか?」、
 さらにつきつめると、「運命はあるのか?」
 ということを試すために、
 自分の命をかけて、実験したということらしいのです。

 結果は、ちょうどその時、
 京都から母の使いがやってきて止めた、そうなのですが、
 やはり、そこには偶然以上の何かがあるように思えます。


「般若心経」の最後は、

「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらぎゃあてい・・」

 という、
 日本人なら一度はどこかで聞いたことがあるフレーズで、
 しめくくられています。

 それ以前の部分は、元々のインドの言葉を
 三蔵法師(玄奘)が漢語に翻訳したものなんですが、
 最後のこのフレーズは「呪」と言われて、
 元々のインドの言葉、そのままになっているそうです。

 それは、言葉にすることによって、
 潜在意識を変える方法に通ずるものがあるような気がします。














posted by さきあきら at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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